以下の意見を見て思ったこと
この白目がまつ毛に侵食する描き方。今となっては当たり前のように広がってるが一番最初にやったのはお久しぶりさんなんだけども、当時描いてたゴスロリキャラに個性を持たせるためにやったとご本人は言ってて、それに触発された人達がこぞって真似し始めたのが広がるきっかけだったのに、いつの間にやらまつ毛のハイライトがどうとか謎の解釈がつけられるようになった。こうやって個人の勝手な解釈で歴史の真実が歪んでいくんだなというのをリアルタイムで目の当たりにしたので、現実の歴史も相当歪んでるんだろうなあ。
https://x.com/yaponishi/status/1920349134793707717
これは歪みではなく正当なアートの歴史であると思う。誰かが生み出した手法を模倣しつつも、そこに新たな解釈や視点を加える行為こそが人間が自ら絵を描く意味であると思う。ただ真似するだけならAIに描かせればいい。しかし人間の創作はただの真似・模倣ではない。既存の手法を使いつつも自分なりの意味や意図、解釈を込めることが表現であり、作品なのではないだろうか。
これは私がAIイラストを好まない理由でもある
AIイラストについて私の意見は「それ楽しいの?」だ。私はだいぶ強めの二次元オタクなのでイラストにも強い興味がある。自分でもAIによるイラストを生成を試してみたが技術的興味以上の面白みを感じなかった。ITエンジニアには、AIによってコードを書く楽しみが失われたと言う人がいる。自分にとってAIイラスト生成は、その失われた楽しみと同じことなのかもしれない。まして創作である。プログラミングのような作業効率が求められる業務ではなく、自己表現の分野で効率的に自動生成する楽しみとは?と思う。これはあまりに上達せず諦めたとはいえ過去に自分の手で二次元イラストを描く経験をした人間の感覚なのかもしれないが。
AIの登場と、ハッカーと画家の終焉あるいは純化
ポール・グレアムのハッカーと画家というエッセイがある。それによるとハッカーのプログラミングは、画家が絵を描くように、手を動かしながら考え、試行錯誤の中で形を見出していく創作行為であるとされる。現代のAIはプログラミングから画家の側面を奪ってしまったのではないだろうか。AIによってプログラミングは試行錯誤のプロセスから、考える→指示する→出てきたものを選ぶという行為に変質してしまった。バイブコーディングに至っては考え、選ぶことすら放棄し、ただ出現させるという行為にまで変質している。
一方でアートとしてのプログラミングはより純粋なものして存在しているようにも思う。AtCoder界隈や関数型言語界隈だ。これぞまさに手を動かしてたどり着く快感の世界。AIの時代にプログラミングが業務から切り離されることでよりアートとして純化した表現とも言えないだろうか。
いや、正直AtCoderも関数型もやってないので実態は知らんのだけど、傍目にはそう見えなくもないのだが、実際どうなのだろうか?