最近技術ネタ以外書かないようにしてたんだが
優生思想的な発想がどこまで許されるのかという点について、もちろん「劣性遺伝子保持者」の出産を抑止しようとすることが許されないとしても、例えばある種の国家にとって有益な才能を持つ人々の出産に対して、国が特別に補助金を出すことは許されるか、などは思考実験としてありえそうですね。
— 青識亜論(せいしき・あろん) (@BlauerSeelowe) 2020年7月25日
劣性という言葉の使い方は置いといて、これは思考実験どころかナチスが実際にやっていた政策で積極的優生学と呼ばれるものです。『「劣性遺伝子保持者」の出産を抑止しようとすること』のような断種政策だけを優生思想と呼ぶのではないのです。(断種政策のようなやり方は消極的優生学と呼ばれます)
つまりこのような議論は『優生思想的な発想』ではなく優生思想そのものです。どこまで許されるかという疑問にお答えすると、かなりアウトなところに踏み込んでいるという事になります。
ところで優生思想がダメなのって何でだかわかります? それは優生思想というのがイデオロギーと不可分だからなのです。
特定の思想に都合の良い形質を優秀と定義しようとするからダメなんです。そんなことはない、誰が見ても絶対に優れたものはあると信じたい人は多いかもしれませんが、それは間違いです。コレは良いコレはダメと決めるときにイデオロギーから中立であることは不可能なんですよ。なぜなら何を重要視するか、すなわち何を優れているかという考え方こそがイデオロギーなのですから。
(なお、このダメな理由は私がそう思ってるだけでどこかの偉い人がそう言ったわけではないです。他にもいろいろな意見はあると思います)
あと、これは劣性という言葉を取り上げて件のツイートを叩いてる人への苦言なんだけど、揚げ足取りしたいのもわかりますが、このツイートはその言葉の誤ち以上の誤ちを含んでいます。おそらくツイートされたご本人も意識せずに優生思想の是非を議論の俎上に載せようとしてしまったという点です。劣性という言葉にフォーカスしすぎてそれを有耶無耶にしてしまうのは危険かな、と思ったのでこの記事を認めました。
ま、こんなブログの記事なんぞ誰も読まんだろうけどさ