安心社会と信頼社会とTwitter

日本のような安心社会では「一見さん」を仲間に入れないことが長期的関係のレントを維持する上で重要なのだ。しかしこれはネットワークを広げる上では不便なので、まず相手を信頼して取引し、裏切り者は法的に処罰するのが欧米型の信頼社会である

ふむ。この話はマーケットの馬車馬先生が取り上げていたが、面白そうなテーマなので本を探して暇つぶしに読んでみたいね。

マーケットの馬車馬: 和魂と洋才とユダヤの商人

脊髄反射で感想を述べる。古くはパソコン通信の時代から現在のインターネットまで、オンライン上に趣味などでつながるコミュニティが発生してきた。当初それらのコミュニティはお互いに顔を知らない人間同士がつくる世界だったので、コミュニティのあり方も必然的に信頼社会に近いものになった。

最近、IT業界では見知らぬ人同士が集まって行う勉強会が流行りだが、これは信頼社会コミュニティだ。その多くがネットと親和性の高い人間を中心として開催されているところを見ると、ネット初期からの信頼社会への慣れが現在の勉強会ブームなどの基盤になっている可能性がある。

そう考えたとき、日本では一部のIT系の連中やアーリーアダプター以外にtwitterが広まらないのは、twitterが信頼ネットワーク的なツールであるがゆえの必然であり、海外のようにtwitterが一般層に広まらないのは信頼ネットワークという基盤がないからなのかもしれない。

そろそろ増田あたりで「twitterのコミュニケーションコストが低いなんてのは戯れ言。@付きで挨拶やクネクネしないと誰からも相手にされず、replyをもらって無視した日には『無礼な非コミュのクズ野郎』扱いでblockされる。俺は絶望した」とかそんな投稿がされないだろうか。

これはtwitterが信頼社会に慣れていない層に広まった時に大いにあり得る現象。『無礼な非コミュのクズ野郎』はblock、マナーを守らない奴は村八分、休日にブログを書く奴はひねり潰す、みたいなやり方は安心ネットワークのやり方。以前はてなで定期的にネタにされたリンク許可制も同じものだろう。

ネット初期のコミュニティがいつの間にか内輪ネタで埋め尽くされて一見さんお断りの安心ネットワーク化していったように、いくつかのtwitterクラスタや勉強会も安心社会化することもあるだろう。だけど全体的にはゆるやかに信頼ネットワーク社会へ移行していくのだろうな…。