科学技術への過剰なアレルギーが日本の科学技術をダメにする

というタイトルで何か書こうと思ったけど説得力のある材料が見つからないから止めた。

ドラえもんには、のび太がひみつ道具ドラえもんの想定の範囲を超えて使いこなす描写が多々見られる。「道具の使い方は天才的だ」などと言わしめているが、最後には道具を制御しきれずにしっぺ返しを食らうというのがお約束のオチ。

この新しい監視カメラシステムは、コンピュータにある程度の判定を任せることで、モニタの前に24時間人員を配置する必要をなくし人件費が削減できるといった類のものだ。それをまるで善悪判定マシーンのごとく捉え、機械が人間の行動を規律する世の中が来るぞと考えるような想像力には、製作者の意図をはるかに超えた発想という点でのび太のイマジネーションに近いものを感じる。

もちろんのび太のイマジネーションが有用な場面がある。よく使用されるアプリケーションソフトウェアには設計者の意図を超えた使い方をされものもある。最近ではweb 2.0的とされる技術やアイディアは、ユーザの斜め上を行く使い方がヒントになっていることが多い。

科学技術悪用の可能性に関して、科学者・技術者が無頓着すぎるという批判がある。たとえば村上陽一郎マンハッタン計画を例に挙げ指摘・批判した(ような気がする、よく覚えてないけど)。あらゆる技術は製作者、発明者の意図を超えて悪用される恐れがあるのは事実だが、いち技術者としては、包丁でヒト殺すなよ、と思うのだ。