SOAはベンダーがツールを売り込むためのバズワード

「SOAはベンダーがツールを売り込むためのバズワードに過ぎない」,Martin Fowler氏語る

SOAは意味のあいまいないわば“バズワード”であり,ベンダーがツールを売り込むための宣伝文句になっているというのだ。ただし,SOAの中には優れたコンセプトもあり,そうしたコンセプトはSOAという言葉とは切り離して考えるべきだという。

さすがファウラー先生、みんな思っていても言えないことをズバリハッキリキッパリ言ってくれる。ファウラー先生のような上流から下流、設計から実装、開発全般に渡ってバランスよく見通せ、発言力のあるエンジニアはやっぱり貴重な存在だなぁ・・。

最後にFowler氏は,SOA推進派の人々が目的としていることについて疑問を呈した。彼らは「システムの中に個々のアプリケーションの孤島ができており,この間のコミュニケーションがよくない。これをSOAによって解決できる」と主張しているという。これに対しFowler氏は「この問題の解決にはどんな技術を選ぶかは関係ない。孤島は技術の問題でできるものではなく,人間や社会の問題で作られるものだからだ」と反論する。

そもそも本当に解決したい問題が何なのか、その辺見誤ると解決できねーのに「これで解決できる」なんて言い出してドツボに嵌るわね。銀の弾丸は無いけど、鉛の弾だってちゃんと正しい方向に撃てば効果がある。あさっての方向に撃っても弾は決して当たらない。

「こうした人間的な境界は非論理的」(同氏)である。ビジネスの権力構造によって境界が引かれるのである。「社会的な力のほうが技術的な力より強いからアプリケーションの孤島ができる。だからなくならない」。これがFowler氏の結論である。

エンジニアリング的な力の方が強かったら意味ねー機能満載のくせに本当に必要な機能が欠けてる糞アプリケーションばかり生産されるようなことも無いだろうね。残業よりも長時間労働よりも、そんな糞アプリを作らされているという事実がもっと辛いのですよ。誰も欲しないアプリ、決して報われない不毛な作業。そんなのばっかりだ。