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ディアスポラ

さて、この相対主義的な考え方を究極的に押し進めたのがヤチマたちポリス市民です。彼らソフトウェア化した意識にも、文学や芸術や宗教がありますが、そのあり方は私たちとは比べ物にならないほど先鋭的です。彼らは自分の精神のパラメータを自由に調節することができるので、何かに価値を感じる価値基準そのものを変えることができるのです。

グレッグ・イーガンの短編で一番好きなのは「しあわせの理由」という短編なのですが、これは、事故により精神パラメータを弄れるようになってしまった男の話。

価値観を自在に変更可能であるということは、人間の精神活動の何もかもが、嬉しさも悲しさも恋愛感情すらも化学反応の結果にすぎないという、現代の科学が暴いてしまった冷徹な事実に基づいています。その事実は、ヒトとは?自我とは何?そんなものに意味あるの?といったヒトの存在を否定しかねない疑問を容赦なく突きつけてきます。そんな問に対するイーガンの答えが短編「しあわせの理由」です。

ディアスポラの登場人物のアイデンティティは、この答えに基づいて成立しています。ヤチマ達ポリスの住人は、化学反応どころかコンピュータの演算結果であり、価値ソフトによって価値観を変えることができ、自分たちのコピーを作って宇宙にばらまくような存在ですが、それをヒトと呼べるのは当たり前だと思えます。ヤチマが唯一、イノシロウに対する激しい感情を示すシーンは、ヒトをヒト足らしめている根源を放棄するという、ポリスの不死の住人にとっては自殺と同義ともいえる行為への怒りです。

そして、その答えを極限まで突き詰めたものが「ディアスポラ」の終着点。人類の極限が何処に向かうのか、それは読んでのお楽しみ。

ただ、この小説が恐ろしいのは、人間の可能性を縛り、知的精神的活動の枷となり、見える世界を矮小にしているものが炭化水素の肉体という物理的生物的な制約だという事を気付かせてしまう事なんですよね…。中二病のおいらには刺激が強すぎますわ。イーガン先生、ポリスに移入したいですw