仕事が人生という価値観は何故押し付けられるのか?

自分はプログラミングに没頭できるからプログラマになったので、社畜乙(笑)とあんまり馬鹿にできんのだが…

ただ、モラル的、法律的にも間違った仕事観(仕事様のためならサビ残、休日出勤上等w)を周囲に押し付ける事で、本来は同じ立場であるはずの労働者の権利を奪ってるってのは自覚するべきだろ? 皆が皆、仕事で自己実現を図ろうと思ってるわけじゃないんだから。。。

個人が自分を磨くための苦労はそれこそ「自己責任」ですればいいのであって、他人にあるいは後輩や部下に押し付けるものではない。いいかげん「過労の連鎖」は断ち切らなければならない。

これらのエントリで指摘されている通り、仕事に人生を捧げるなんて生き方は自分自身の中だけで完結していれば、いくらでも好きにやってくれて構わない。ところが、いわゆる社畜と蔑まれているような、仕事というよりもむしろ会社に人生捧げてるような人たちは、それを当然の事として当然のように他者に強制する。何故だろう?

日本では労働が「労道」になってしまっている。本来は単なる収入獲得手段なのに、精神性や自己実現といった意味付けが過剰に。言い古されたことだけど、日本人は何でも「道」にしてしまう。

なるほど「道」であれば、他者に強いるのも理解できる。入社とは入門であり、仕事とは精神修養であり、極めるべき道であるから、10年泥のように修業するのは当然で、苦行は買ってでもしなければならない崇高なもの。新弟子であるところの新入社員は真っ先に出社して掃除して道場を清めるのだ。転職のような途中で流派を変える真似は許されないから「若者はなぜ3年でやめるのか」などという、どうでもいいタイトルの新書がベストセラーになる。海外ニート氏のような仕事を最上位に置かない人間から見れば理解不能、洗脳と区別できない事だろう。

以前はてな界隈では「エクセルでマクロを使うのはズル」だとか「PCで作成した履歴書は手抜き」という話題があがっていた。これも仕事を「道」と見做すがゆえの不合理だと理解できる。

たぶんアメリカ人は軍人すら死ぬ気では働いていない。勝つ気で働いている。

この考え方は大事ですね。